工務店スタッフブログ

家族の在り方

家族の形

僕の父は64で亡くなった。
僕が今年で32だから、ちょうど親父の半分生きたことになる。
親父が生前僕にしてくれた事を、僕はほとんど恩を返せなかった。
無くなって8年、母は時々親父を思い出している。
僕の幼少時代は少々変わっていて
自衛官だった親父にくっついて埼玉に住んでいた時期がある。
けれど母が体調を崩し、療養をかねて故郷に帰ることになった。
親父は転勤族だったから、結局僕と母だけが戻り
親父は単身赴任で生活することになった。
それは僕が高校生になるまで続いた。

僕と親父

こう書くと、僕は親父とほとんど一緒に生活をしていないことないなるけれど
それは半分正しくて、もう半分は違う。
何故なら親父は仕事で何かない限り、毎週金曜日に必ず帰ってきたからだ
金曜の夜遅くに帰ってきて、週末を過ごし、日曜の昼にまた戻る。
途中から勤務地が埼玉から宮城の松島に変わったけれど
その生活を親父は自衛官を退役するまで続けた。
だから僕にとっての週末は親父が帰ってくる2日間。
どこかに遊びに行ったり、何か特別な事をするわけじゃなく
親父は煙草を吸いながら、椅子に腰掛けてTVを見ているだけ。
たまに学校のことや、最近何があったか話をしたり。
けれど僕にとっては大切な週末だった。
僕が高校に入った年、親父は退役して地元に再就職したので
生活は他の家庭と同じようになったけれど
親父が毎日いることに最初は戸惑ったくらいだった。
数えてみると、幼少期を除いて、僕が親父とまともに暮らしたのは
高校の3年間と大学の4年のうち下宿から通学に切り替えた2年間と
地元での就職とやりたい仕事とのギャップで上手くいかなかった2年間。
計7年間しかない。

それでも

それでも僕の中にはさびしさを感じた記憶はあまりない。
高速はまだ途中までだったから、長時間のドライブ。
毎週帰ってきてくれていたのは、当時の僕にはそれが当たり前のように感じていたけれど
とても大変なことだったと思う。
そんな堅く一徹な人だったので、とても厳しかったし、たくさん叱られた。
子供のころは親父に怒られたくなくて、頑張れたことも多い。
親父が亡くなって8年。年が30を超えたのもあり、周りに結婚をからかわれたりする。
残念ながら今の所予定もなし、相手もいないけれど
親父のような家族を大切に出来る人間になりたい。
幸せにするとか、温かい家庭とか、自分にそれが実現できるか分からないけれど
僕は親父を尊敬しているし、また親父のように尊敬されたい。
倒れる前日の夜、いつもはお酒と少しつまむだけの親父が
僕がカップヌードルを夜食に取っているのを見て
「俺の分は無いのか?」と聞いてきた。
母が作ってきたお湯を注ぐだけのヌードルが、親父の最後の食事である。
僕はどうしても気分が落ち込んだ時、カップヌードルを食べる。
一緒に熱いスープをすする、親父がそこにいる気がするから。

石崎 幸崇

設計士 石崎 幸崇

打合せではお客様の気になることや質問に多彩な知識で応えてくれます。。 多彩な趣味を持っていて分からないことがないのでは?と思えてくるほどです。どちらかというと知的な女性を好む(K談)、マイペースで自分をもっている(T談)

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