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今年で7年が経ち、再会した友と見てきた思い出の地、そして...。

今だから語れる。

2011年3月11日、私は数日前に高校の卒業式を終え、専門学校に通う準備とアルバイトに明け暮れていた。この日はたまたま休みで家で体を休めていた。「午後2時46分」東日本大震災が起きた時間らしい。らしいとは、家族の事が心配で真っ先に家を飛び出した為正確な時間までは不明な為である。幸い家と家族の勤め先が近かった為直ぐに安否を確認することが出来た。皆無事だった。
だがここからは悪夢でしかない大型の地震だった為、津波が発生し多大なる被害をもたらした。ここでは私の同級生・友達までのみこまれた。数日まで笑いあっていた人が、馬鹿話をしていた人が、100歳まで生きると言っていた人が、まだ18歳なのに、未来があったのに...。そこから福島第一原子力発電所事故による災害...。正直18歳の私には現実の出来事の様で、どこか受け止め切れていない私自身がいた。「会いたくても一生会えない。
車で1時間程でも行けない場所がある。」
その後仙台の専門学校に入学。2年程は仙台で暮らした。地元に戻ってきたのは2013年のことだ。少しずつ復興は進んでいたが、線路は津波にながされ一部はバス移動、仮設住宅に住んでいる方も大勢いた。同年代の子はほとんど上京し見知った人はごく数人しかいなかった。それでも戻ってきたからにはこの地元で頑張ろう。2年間地元を離れて私の中ではやっと気持ちの切り替えができた。
2018年現在、大分復興が進み津波で流された線路は復旧、一部で避難指示区域の解除、同年代の子も何人かは戻ってきました。戻ってきた友達と久しぶり会い、浪江・富岡方面を見てきました。昔の話に花を咲かせながら見て回り「懐かしいね」と声を揃えて言いました。復興が進んだと言っても大抵の店は8時には閉まっており、またコンビニも24時間営業で無い店が多々ある。友達にそのことを話すと大分びっくりされます(笑)。
全てが元通りではありません、不便でないと言えば嘘になります。いいご縁があり地元を離れることがあるかもしれません。もしかしたら海外に移住するかも知れません(笑)。でも、震災がもたらしたこの苦い記憶はどこに行っても忘れることは多分できないでしょう。また、震災前の楽しかった思い出・震災後の助け合い、復興の歴史も忘れることはできないでしょう。どこにいっても私のふるさとはこの南相馬市であり、私が生まれ育った町にかわりありません。ですから私は、今日も頑張って生きていきます。生きて生きてこの私達の生き様をふるさとの歴史も、次の世代に伝えていくことが出来るから。

浪江の「サンプラザ」

結構通っていた、浪江のスーパーマーケット。食品、衣料品、ゲームセンター、別棟ではレンタルDVD、玩具など扱っていました。結構なんでも揃う便利なお店でした。今ではボロボロに...。

富岡町にオープンしたお店「さくらモールとみおか」

富岡町で唯一空いてるスーパーマーケット。くすり・工具・木材関係も完備しております。駐車場も広々。