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あの日から9年 今年の3.11に思うこと

今年もこの日が来ました。

今年も3月11日を迎えました。この日は色んな感情が駆け巡る方が多いのではないでしょうか。被災し、今も苦しんでいる方がいらっしゃると思います。
未曾有の大震災から9年。世の中はスマホの登場と共に様変わりしました。元号も平成から令和に変わり、時代が変わった感があります。その中で9年前の今日からの事を反芻してみました。

当時のこと。

地震が起こった当時、私は会社で仕事をしており他のスタッフもいて、強い揺れが断続的に続く中、事務所の外に避難しました。地響きと電柱が揺れる中、一人、また一人とそれぞれの家族や家の心配から、会社を後にしました。
私自身も母が心配になり、揺れの真っ只中を恐怖と緊張で車を走らせたのを覚えています。家につくと母の軽自動車はなく、屋根の和瓦のグシがあちこちに散乱しては割れ、家の中の家具は倒れ放題になっていました。
私は姿のない母を心配しました。不安でしたし電話もかけました。10分くらいすると母の軽自動車が庭に入ってきて、姿を見たときは本当に良かったと思いましたよ。
たまたま、本当にたまたまお医者さんに行っていたんですね。もしも家にいたら、今も元気に暮らしていることはなかったかもしれません。きっと皆さんのなかにもそういう思いをされた方はいらっしゃるはず。
その日から震災の日々がスタートしました。水道管の破断や庭の地割れなど、余震が幾度となく続く中、頭はどうしたらいいんだろうの一言でしたね。母の体のこともあり、私は遠方に避難することをやめ、自宅に残ろうとしました。
ただ当時は放射線の情報や噂が錯綜していて、叔母の強いすすめもあり、一度福島市の方に身を寄せました。最初は従兄弟の家に、その後は津波で被災された方がいる体育館に頼んで入れてもらいました。

未知の事。

体育館に避難して数日。寒さから母や私自身の体調が悪くなってきました。やはり戻ったほうが良いのか???けれど戻ったところでどうする?その時に社長から電話をもらいました。
それもでも安否確認やアイリスがどうなるかの連絡を取り合ってはいましたが、体育館で受けた電話が、今も私がここにいるきっかけになったと思っています。
『アイリスホームは再始動する。本宮に仮設住宅を造る。仕事に出てこれるか?』
言葉は当時と少し違いますが、要約すると上の内容でした。先の見えない体育館の中で、私はよろしくお願いしますと答えたのを覚えています。
福島市に避難し、体育館でその電話をもらうまで約2週間とちょっと。ある意味人生の分かれ目で、違う選択をしていたら仕事もその後の人生も全く違うものになっていたでしょう。
 
すぐに帰る決断をして、母を乗せておっかなびっくりほぼ人のいない南相馬に帰りました。体育館ではほぼ眠れていなかったので、着いてリビングで泥のように眠ったのを覚えています。
その後、少しずつアイリスホームが再始動を始めて、本宮市の仮設住宅が始まる頃には相馬・南相馬で営業を再開するお店も増え始めていました。
仮設住宅は未知との遭遇で、私は正直それまであまり現場に行ったことがなかった。ある意味現場デビューでした。勝手が分からないので動き方が分からない。周りの大工さん達職方は工期に合わせるように、材木屋さんの二階に寝泊まりし、私も含めた数人は南相馬から本宮まで毎日通い続けました。

職方の仕事の取り組みを初めて間近で見て、また震災のために必死になっている方々を見て、出来ることのほとんどない私は何とか食らいつく毎日。最後の方は朝6時に出発して、夜10時に家路に着くような形で、、、

本宮市、三春町、郡山市の仮設住宅を通して、通常の住宅を建てることとはまた違うことを学べました。何より、現場自体が学びの連続でしたが。

歩いてみる。

仮設住宅を終えてから、次の方向を決断した人の中で家を求める方々が出てくるようになりました。最初は津波で家を失った方々。
東京電力さんとのやり取りの目処が建って、新しく住処を求める人など。5年間は慌ただしいというより、やらなくちゃ、、、の一言だったと思います。
スタッフの中でも一時的に避難し拠点を移す人、戻ってくることを決断した人、新しくアイリスに入る人と、それぞれの選択が入り乱れていました。先の事と置かれている状況を考えながら、必死に歩いていたのだと思います。
ここ2~3年でそういった震災の流れが落ち着き、今家を求める方もほぼローンや自己資金の方が多くなってきました。10年が一区切りなのでしょうが、震災から一つの復興のゴールなのでしょう。
もちろん、解決していない問題はありますし、最近ではコロナショックが大きく皆さんの暮らしに影響を与えていると思います。
それでも9年生きてこれました。9年前、本当に駄目だと思いました。必死にやってきて今があります。これからも歩いてみるだけです。

この記事を書いた人

佐久間 岩男

アイリスホームの代表取締役社長であり、同時に「何でもします課」を自ら公言している。実直な性格だが(見かけによらず)同乗者にあたたかい飲み物を事前に用意しているやさしさを併せもっている。南相馬で生まれ南相馬で社長になった南相馬純血。実は24歳から社長業に勤しんでいるので社長歴20年のキャリアをもっている。とても人情豊かな社長である。